Monday, March 26, 2007

大保木村の由来
神野郡を改め新居郡について大同4年9月2日、嵯峨天皇の御諱を避けて、神野郡を新居郡に改称した。元明天皇の和銅6年(713)に定められた「和名類衆」には、新居を仁比井「にひる」と註してある。新居は郷の名は「新居」から出たものである。新居郡内の郷名は新居、井上、鳩山、立花、加茂の五つである。伊曽乃神社所在地出あることから、神野という郡名が命名されたであろう。新居郡の東西南北は「東は関の立石より、以西なり。西は氷見の境塚より、以東なり。南は別子銅山の船窪より、以北なり。北は高井神島より以南の海面を限るなり。」明治23年(1890)兎之山村、黒瀬村、前大保木村、中奥山村、西之川村、東之川村を合併して大保木村が誕生した。昭和31年に大保木村は西条に合併した。大保木村の由来明治21年4月明治政府は市制町村制を定め、翌年より施行する六ケ村(兎之山村、黒瀬山村、大保木山村、中奥山村・西之川山村・東之川山村)を朋治21年に合併して、大保木村が誕生した。その当時、大保木村と大保木山村の区別をするために大字を前大保木と表記した。大保木村名称上記の通り大保木はかなり新しい名称であるが、古くは大崖(オオホキ)や大吹(オオフキ)と本川村史の中に表記されている。大崖 一 大字中奥より南の方の山が険しさに価する村名を付けたと推測する。大吹 一 意味がはっきりしないが、土佐の本川村で大吹という地名が出てくる。横峰寺から南方の地域(本川村)に掛けて、よく風が吹くから大吹くと云う村名を付けたと思う。なお、大保木の村名の由来は新居郡誌の中に書かれている。大保木村は昔、西五ケ村を表していたが、前大保木山村を中心に黒瀬山村、中奥山村、西之川、東之川を表していた。石鎚山は数十万年前の火山が噴火して出来た山である。石土山隆起して出来た山である。

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